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【誕生秘話】新しい彫刻アートを生み出す ということ ①魚が苦手な魚屋二代目

シャインカーバーのみなさん、こんにちは!

 

アカデミー長 田中淳也です。

 

今朝、ジョギングをしているときに聴いていたYoutubeに、

僕の尊敬する幻冬舎の箕輪厚介さんが出てきました。

インタビューの最中に、彼がこんなことを言っていました。

作り手の狂気とも言える異常な偏愛と

独りよがりになっていないマーケットとのキャッチボール。

(受け入れられるためには)その両輪を回転させること(が重要)

偉人の手紙 より

https://youtu.be/UJfcj-R6ekE

 

売れる(バズる)本を出すために必要なこと

 

というテーマだったのですが、

シャインカービングを生み出して今に至るまでの4年間

の僕の浮き沈みを表すのにピッタリな表現だな

と、何とも言えない気持ちになりました。

 

いい機会だと思ったので、

シャインカービングのこれまでの

デコボコな歩み

をつらつらと語ってみようかな。

 

魚が苦手な二代目魚屋

4年前(2016年)の晩夏、僕は焦っていました。

 

家業の義春刃物に入社してからの4年間、

・”彫刻刀の技術を生かした新しいキッチン用品”というプロジェクトを立ち上げ

・自ら3Dモデリングを勉強して試作品を設計

・当時は珍しかった海外でのクラウドファンディングで資金調達とマーケティングを同時に達成

・NHKや新聞の全国版にも取り上げられるヒット商品を生み出すことに成功

 

こんな感じで、僕は自分の仕事をこなしてきました。

 

老舗彫刻刀メーカーの跡取りとして一生懸命仕事をしている自負はある。

有難いことに同業者や周囲の方からも、

 

“義春刃物は息子さんが頼もしくて安泰だね”

 

と、自分の努力や成果を認めてもらえている。

 

 

けれど、気づいていました。

 

 

僕には何かが圧倒的に足りていない

 

 

何かが、

 

 

と書きましたが、足りていないものの目星はついていました。

 

 

 

僕は彫刻刀をそこまで愛していない。

 

 

 

でも、それを認めるのが怖い。

 

 

 

自分の家業でしょう?流石に嘘でしょ?

 

 

 

と思われる方もいらっしゃると思います。

 

 

 

もちろん、うちの職人が生み出す彫刻刀の切れ味は素晴らしいです。

義春刃物の彫刻刀にも職人にも会社にも、心から誇りを持っています。

小さい頃から工場に遊びに行っては、

羽布(バフ)で黙々と彫刻刀の仕上げをするじいちゃん(先先代社長)の姿に憧れ、

隣に座ってマネごとをして何度も叱られていました。

大人になったら義春刃物を継ぐんだ。そうやって卒業文集にも書き込んでありました。

 

 

でも、違うんです。

誇りを持っていることと、そのモノ自体が好きであることは違うんです。

 

 

魚屋の息子が必ず魚が好きか、と言われたらそうであるとは限らないように

電気屋の息子が家電オタクか、と言われたらそうであるとは限らないように

 

 

自分の家業を心から好きでいる状態で仕事をしている二代目、三代目(僕は六代目)ばかりではないんです。

 

もちろん、子供の頃にやった版画の授業は好きでした。

他の多くの子供と全く同じように、手を切る痛みを覚え、バレンを使って墨を転写する作業に心を躍らせる。

図工を楽しむ普通の小学生。

 

もちろん彫刻刀は自家製ですが、当時そこに誇りがあったわけでも、切れ味に感動したわけでもありません。

あくまで、彫刻刀はただの道具

 

 

中学生で少し使ってからは、引き出しの中に数十年間眠りっぱなし。

自社の検品作業以外では、彫刻刀を使う機会なんてありません

 

 

はたから見ても、こんな人間から彫刻刀愛なんて、全く感じないですよね。

 

 

家業を継ぐ、ということは、

自分の一生を賭けること

とほぼ同義だと感じていました。

 

でも、

その一生を掛ける家業が生み出す彫刻刀を

僕は愛することができていませんでした

 

 

愛せない彫刻刀を売るのではなく、

その“技術”を転用した製品を生み出し、販売することで

そんな自分の心の闇から目を背けていたのかもしれません。

 

 

 

好きじゃないモノを、好きだと偽りながらお客様に売る。

 

なんだか愛していない人と結婚して仮面生活を送っている夫婦のようですね。

 

 

 

これまで順風満帆に生きてきた自分が

何か道を大きく間違えてしまったんじゃないか

 

 

その不安の答え合わせをするのが恐くて

大切なことから逃げていたんだと思います。

 

 

 

技術もあり、伝統もあり、信頼もある、義春刃物の彫刻刀。

なんで僕は、こんなにも恵まれた事業の跡取りなのに、彫刻刀を愛していないんだろう。

 

 

素晴らしいパズルのピースがたくさんあるのに、全然完成する気がしない

 

言いようのない焦りと不安が24時間ずーっと頭の中に居場所を作っている

この感じに、これから数十年間耐えていかなければいけないのか

 

東京都美術館

その日はたまたま東京出張で、予定がキャンセルとなって平日の1日、

ぽっかりと予定が空いていました。

 

 

休みになってラッキー!どこかに遊びに行こうか

 

 

とも思いましたが、頭の中のモヤモヤがおさまりません。

 

お前は遊んでる場合じゃない

 

とでも言いたいかのようでした。

 

 

何か、動かなきゃ。

そんな焦り。

 

 

こういう時は、意図的に

自分がこれまで絶対に行かなかった場所に行ってみる

ことで道が開けたことが過去何度かあったので、

今回もたまたま通りがかかった上野駅で下車。

駅から降りて、目に飛び込んできたのは大きな公園。

 

 

いつもなら一瞥(いちべつ)するだけの公園ですが、

その時だけは何かとても大事な場所なように感じました。

 

 

 

よし、今日は美術館に行ってみよう

少しワクワクしながら、上野公園に続く階段を登っていきました。

 

“感動”との出会い

 

これまでの僕は、美術鑑賞というものに本当に

 

一ミリの興味もありませんでした。

 

学生時代に、彼女とデートで何度か美術館に行ったことはあります。

その時は楽しんでいるフリをする。

でも、やっぱり興味が持てない

 

今回も、特段鑑賞したい作品があるわけでもない。

 

 

一体、どこへ行けばいいんだろう。

僕は何を観ればいいんだろう。

 

 

そんなことを考えながら美術館の入り口に到着した時、看板に目が留まりました。

 

開館90周年記念展
木々との対話──再生をめぐる5つの風景

「再生」をキーワードに、永遠と瞬間、生と死というアンビバレントな要素を複雑に包含する作品で構成する展覧会です。

木の素材を活かした大規模なインスタレーションや彫刻により、現代日本を代表する作家たちの世界を体感していただくものです。

出品作家:國安孝昌、須田悦弘、田窪恭治、土屋仁応、舟越桂

東京都美術館 (木々との対話──再生をめぐる5つの風景)

 

 

木の素材を活かした彫刻、か。

 

 

このタイミングで彫刻刀を使ったアートが見られるなんて、ツイてるのかな?

 

 

そんなことを考えながら、この企画展に足を運ぶことにしました。

 

 

そこには僕の想像していた

版画

仏像

のような彫刻アートはありませんでした。

 

 

 

巨大な木をモチーフとしたアートや

木の影で作られたアート

 

 

興味深い、変わったアートもありました。

でも、やっぱり感想は”ふーん”です。

心は動かされない。興味もあまり無い。

 

 

やっぱりすぐには変わらない、か。

 

 

少しがっかりしながら最後に入った小さな部屋

 

 

そこで出会った作品に、僕は心を奪われました。

木彫りの動物。

土屋仁応という若い彫刻家さんの作品でした。

まるで今にも動き出しそうな体。

“生存する”という生き物の本能が働いているかと思わせる顔

彫刻刀の彫り跡で表現された、繊細な表情

 

 

 

全てが儚く、全てが美しい。

 

土屋氏の作品は、

 

企画展のキャッチコピーの通り

木の素材を活かした、まさに生きているかのような彫刻

 

そんな気持ちにさせてくれるものばかりでした。

 

 

これまで僕の想像していた、薄い薄い“彫刻アート”の先入観が崩れた瞬間でした。

 

 

これが、彫刻アートなんだ。

 

これが、アートなんだ。

 

 

デートの時には1つの作品でいいとこ1分しか鑑賞しなかった僕が

この日はたった10点ほどの作品がある部屋に3時間以上留まり、その美しさに魅了され続けていました。

 

足りていないモノの正体

美術館を出て、気がついたら夕方になっていました。

 

 

結局、ゆっくり鑑賞したのは小さな部屋に飾ってあった土屋氏の作品だけ。

常設されている数多くの美術作品には全く足を向けることはありませんでした。

 

 

それでも、帰りの電車の中で、

僕にはこれまでには無かったある考えが生まれていました。

 

 

彫刻刀を愛する

 

 

 

それ単体では意味が無い

 

 

 

なぜなら、彫刻刀は、単なる道具だからだ。

 

 

 

僕が苦しんでいたのは、道具だけを無理やり愛そうとしていたからだったんだ。

 

 

 

僕に足りなかったもの。

 

 

 

それは

 

 

 

心から愛することのできる彫刻アートだったんだ。

 

 

 

これまでの”悩み”や”焦り”が嘘のように、

頭の中で”希望”に変化しました。

 

 

 

自分が心から好きなアートがあるから、それを生み出すことのできる道具を好きになる

 

 

 

こんな当たり前のこと、何で今まで気づかなかったんでしょうね。

 

 

バスケ部だった学生時代。

道具であるバスケットボールが大好きでした

でもそれは、

バスケというスポーツを僕が愛していたからこそだったんですよね。

 

 

僕はこれまで彫刻アートに興味がありませんでした。

それにはいろんな理由があるのですが、

 

 

一番の理由は恐らく

 

 

 

僕には芸術センスも彫刻センスも無い

 

 

 

という、なんとも情けないモノだったんだと思います。

 

 

 

さっきまであんなに素晴らしい木彫りの彫刻アートをみておきながら、

 

 

 

自分もああなりたい!

 

 

 

とは思えない。

 

 

 

心の中にできている分厚い壁。

 

 

 

 

でも、今の僕にはそんな理由で引くことは許されません。

 

 

 

乗り越えなきゃ。

 

 

 

彫刻アートを本気で好きになりたいんだ。

 

 

 

 

それなら、僕がやるべき事はただ一つ。

 

 

 

 

自分で生み出すしかない。

 

 

 

 

 

芸術センスが無くても

彫刻がヘタクソでも

 

 

心が躍るような、感動できるような、

関わる道具も全部愛せるような、

 

 

そんなアートを。

 

 

 

こんな僕でも楽しめる、

 

全く新しい彫刻アートを。

 

 

 

続く

 

 

アカデミー長

田中淳也